(7月当時)ドラゴンクエスト ユア・ストーリー、今から待ちきれない方は多いのではないでしょうか?
(8月)見なかったことにしよう( ゚Д゚)
ま、まあドラクエⅤって、何回クリアしても何故かやりたくなるんですよね。
仲間モンスターのシステムが素敵すぎるんだよなぁ。
私はちょうどドラゴンクエスト ユア・ストーリーの話題を目にしたのが、奇しくもスマホのドラクエ5をやりながら動画を流し見していた時だったので、10秒ほど硬直した後はぐれメタル狩りそっちのけで詳細を検索していたのでした。
鳥山先生の絵じゃない分、どことなくディズニー感というかバタ臭い感じもちょっとしますけど、それでもなおビアンカはかわいいので良し。
鳥山絵のままでCGとなると、7の前科があるのでこっちの方が無難だったかもね…。
一通り見た後、無事はぐりんが加入しました。
因縁があるかは知りませんが、このご縁に一応感謝です。
さっきまでまたやっていたら今度はロビンとメガーザが…ドラクエⅤが私を慰めてくれているようです。
さて、この映画、当然音楽はすぎやまこういち先生ですね。
私も好きな作曲家の先生は少なからずいるんですが、すぎやま先生もその一人です。
私が好きな作曲家の方って共通点があって、音楽とゲームが好きなことなんですね。
好きだからこそ常に良いものを私たちに提供してくださるんだろうと思っています。
このところドラクエに縁のある日々が続いていますので、折角ですからすぎやま先生への普段の想いをここにつづらせていただきたいと思います。
ってかもうすぎやまこういち先生の話だけでいいですよね。
それとも「ぬわーっ!」について語ります?
さて、すぎやんは本当に天才なの?天才とはなんなのか?なぜすぎやんが天才といわれるのか?私はこれだからすぎやんが好き!
今日はそんなお話です。
すぎやまこういちは本当に天才なの?
天才だと思います。
私は平素は才能という概念に対して否定的な性格なんですが、抜きんでている人はやはり居るもので、そういう人って普通じゃない何かを持っているように思いませんか?
あ、別にオーラが見えるとかそういう系の話じゃないですよ。
幼少年時代の記録に、その片鱗が垣間見れる気がするんです。
幼少時代
すぎやま先生は物心付いたころからゲームが身近にあり、お父さんが買ってきたレコードを擦り切れるまで聴き倒したりと、音楽もまた幼いころから親しんでいたそうです。
特にベートーベンには思い入れがあるようですね。
これについては、すぎやま先生著、すぎやまこういちの体験作曲法で、幼少期のことを自ら記されています。
ゲームも音楽も、ご両親から覚えたものだとか。
誰もそんなつもりはなかったんでしょうが、この頃からすでに英才教育は始まっていたんですね。
なんかこれだけでも、今の地位になるべくしてなってるようなエピソードです。
中学も高校もとにかく音楽!
中学生の頃に生涯の親友・青島幸男さんと出会い、クラシック一辺倒だったすぎやま先生はジャズやポップスにも魅了されていきます。
その時の衝撃を、すぎやま先生は「3日はウームとうなってしまった」と記していますが、高校ではさらに深く音楽にのめり込んでいくことに。
家庭内では社交ダンスが流行するわ、学校では音楽部を創立して指揮と編曲をやるわ、今よりずっと保守的な場所であった学校という場でジャズったら目を付けられるわと大変な日々だったそうで。
卒業後は音大に行きたかったそうなんですが、試験科目にピアノが必ず入っていたため、ピアノが弾けないすぎやま先生は断念したとか。
それで、音大をあきらめて東大に行ったんですって。
…なんかおかしくないですか?
「音大に行けないし、しょうがないから東大でいいや」
…ちょっと何言ってるかわかんないですね。
さすが天才は違うわ
大体そんなに音楽漬けの日々で、校内でジャズって優等賞をお預けになったりで忙しかったでしょうに、いつ勉強してたの?ってくらいなのに。
なんかホイっと東大行っちゃってるんですよね。
さすが天才は何か持ってるわ
天才って何だろう?どういう人が天才なの?
妥協で東大に行けちゃうのって確かにそれはそれで天才なんですが、音楽家としてのすぎやま先生はどうなのか?って話ですよね。
私も有名人は多少は知っていますから、他にも天才と呼ばれる人たちを知っています。
イチローとか羽生善治さんなんかもそうですよね。
天才の話題になるとよく引き合いに出される人たちです。
こういう人たちって、一様に似通った共通点があることに気付きませんか?
幼少の頃から好きなことがあり、それに打ち込んでいた。
聞き手にも感性を要求されるような思想、発言。
常識の中で生きる人はなんとなく置いてけぼり感を覚える。
そもそも本人たちの感性が異様に高い。
これは仮説ですが、家庭や学校や社会で過ごしていく中で、残念ながら私たちは徐々に感性を削り取られることを余儀なくされています。
ですが、子供のままの感性を保ったままに大人としての教養を身に着けた人間がいたとしたら?
そんな人がきっと、天才なんじゃないでしょうか。
天才って字的に、天より授かった生まれ持った才覚みたいなイメージがありますが、当の天才たちを見ていると、そんな運ゲーじみた概念よりも自分の感性を信じて、どう生きるかを突き詰めた結果があるだけなんじゃないかと思ってしまうんです。
つまり天才とは、子供の感性を親や周囲から奪われずに育つことが出来た人間のことだったんだよ!(あくまで仮説です)
そしてその要素は、すぎやま先生もお持ちなんだと思いますよ。
すぎやま先生のお父さんは家の反物を交換してレコードを買ってあげたり、東大を卒業後公務員になるより音楽の仕事の方が向いているだろうと、すぎやま先生の進路を好きに決めさせたり、わが子を尊重する方でした。
ナイスサポートどころじゃないですよお父さん。
神様のような人だわ。
結果ドラクエの三本柱の一柱を世に送り出すことになったんですから。
私はなぜか、やっと走れるようになったばかりの子供の頃のことをちょっとだけ覚えてるんですが、あの時の目に映るものの鮮やかさといったら…。
もし今、あの感性が残っていたら何を考えて何をしているんだろうと時々考えることがあります。
まあ、絵に描いた餅ですけどね。
すぎやまこういちってリアル勇者なんじゃないかな
私が、すぎやま先生が天才だと考える理由に、もう1人似た感じを持つ人物がいます。
架空の人物なんですが、この人です。
全然違うじゃねーか!
って思いました?
確かにアカギは、すぎやま先生とは生い立ちも人柄も全然違う人です。
でもこの人も(闇に降り立った)天才ですよ?
そういえば、アカギも作中で自分の感性について話していましたね。
勇者(とアカギ)は恐れない
勇者は言うまでもなく勇気ある者です。
決して臆することなく、魔王や鷲頭に立ち向かいます。
すぎやま先生は子供の頃から驚くべき行動力を有していたのは「すぎやまこういちの体験作曲法」に多く記されています。
隣の家に上田仁氏がいると聞けば1も2もなく訪問し、親友の青島幸男氏が退学させられそうになれば職員室に乗り込み友を助ける。
後者が良いか悪いかはともかく、並の人間には無い行動力です。
恐れることなく自分の感性を信じている彼らだから出来る芸当です。
いや、逆かもしれません。
自分の感性を信頼しきっていれば、何かを恐れる理由が無くなってしまいます。
勇者(とアカギ)は逃げ出さない
実際は「逃げる」を押せば雑魚から逃げることは出来ますが、ボスからは決して逃げられません。
すぎやま先生は2000曲以上の曲を書かれて、どんな大変なスケジュールでも立ち向かって逃げはしなかったんですね。
自分のレベルを上げに上げて、今の地位にいるんですね。
勇者(とアカギ)は惜しまない
お金に困っている人がいれば施し、病気で苦しむ人がいれば洞窟や山に行って薬を取ってきてあげて、決して惜しむことはない、それが勇者です。
アカギは…そういうことはしませんけど、でも自分の何をも惜しまない人でしたね。
すぎやま先生も、そういうことをしてるかは分かりませんが、自分の作品に執着しません、惜しみません。
執着しないというのは、前を見続けられるということですね。
毎瞬が新しきことを認め続けるって、意外と難しいことですが、それが出来るから流れ続ける水のように腐らずにいられるように思います。
やっぱり何が一番魅力かといえばゲームを愛しているところ
すぎやま先生がいかに天才的要素を持っているかが伝わったら幸いです。
他にも音楽は独学であるとか、そんなお話もありますね。
でもここまで書きましたけど、結局ゲームが好きで、そのゲームのために何かを作り出している。
そんな人だから、同じゲームファンからも一層愛されているんだろうなと思うんですね。
彼の政治的思想を叩く人もいます。
でも私は政治の話を書くつもりはありません。
すぎやま先生の技量について論じる人もいます。
でも私は、なんだったら彼が天才じゃなくたって別にいいです。
これだけ書いといてなんですけどね。
ゲームと音楽が好きで、多くの栄えある実績をすでに残しているんですから。
あの人の手の届かないようでいて、でも本当はすごく近くにいそうな人間臭さが私は好きです。
はい、ユアストーリーの話はしたくないのでしません。
え、周りの意見に流されるなって?
本心ですけどいけませんかね?
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